ユキさんミャンマー

Yuki san -Myanmar-

好きなYoutuberだったデイゼロバンコクのだいじろーさんがうつで休養した話

どーも、ユキさんです。ミンガラーバー。

 

すごいショックです。

海外で現地採用として働く身として、デイゼロバンコクは心の拠り所でした。

タイの情報をコメディタッチで紹介する形で、登録者も8万人を超えタイで一番有名なYoutuberだった彼ら。彼らの動画を説明するなんておこがましいので、気になる方は是非動画を見て見てください。


報告 活動を休止します。

 

さて、今日何を書きたいのかと言うと、「鬱」という病気についてです。

僕の家系は「鬱」家系です。裏を返せば、真面目で嘘をつかない・曲がった事が嫌いな何とも不器用で愛らしい家系です。しかし、ひん曲がりにひん曲がっているこの世に基本的にフィットする事はできません。5人家族の内2人が鬱経験者で、会社をしばらく休んだり紆余曲折がつきないファミリーでございます。

僕自身も、他人より鬱になりやすい性格である事を何となく自覚しています。幸いなことにまだなっていませんが。しかし、気分の浮き沈みが非常に激しいので、自分では気付いていないだけで、躁鬱に近い状態かもしれません。「精神病」というものは非常に身近な存在であり、自分が発症する・しているのではないかという心配を抱えながら、日々の生活しています。ですので、鬱になったら、もしくは自分が鬱と認めたらどうなるのか、そんな事が頻繁に頭をよぎります。

 

社会一般で見れば、社会不適合者の烙印を押されるも同然な病気です。

この世でうまく生きる事は非常に難しくなるでしょう。

 

しかし、一方でこうも考える時があります。

この世の中、人生の選択肢が無限にあり、自ら選択できる環境にありながら、未だに何をすべきか・したいか迷っている自分がいる。そして、その状態を幸せな状態ではないと思っている自分がいる。

 

鬱病を患えば、体力的にも精神的にも疲弊し、行動できる範囲は強制的に制限されます。つまり、人生の選択も限定されます。自由ではありません。残された唯一の選択肢として自殺をする人もいます。しかし、選択肢を強制的に絞られるという事はある意味では楽かもれしれません。つまり、自殺という選択肢がその人にとっての幸せになり得るという事です。鬱ではないであろう僕がこんな話をするのは何とも失礼な話ではあるのですが。

例えば、レストランで、たくさんあるメニューの中から一つを選ぶのは非常に難しいですが、2-3個の中から選ぶのは非常に簡単です。そして、他の美味しいレストランを知らなければ、今の美味しさを塗り替えられることなく、そのまま幸せな訳です。

また、ベジタリアンやヴィーガンになって自らの食物を制限する変態的行動を取る可能性も人間は持っています。基本的欲求とは矛盾する行動を取り得るのが人間だと思っています。

 

話は逸れてしまいましたが、結局の所、鬱になろうが鬱でなかろうが自分の人生とどう向き合うかが重要なのだと思ってます。辛い事・苦しい事であっても、遥か後でも良いので、人生一つ一つの過程を噛み締め、人生を味わう作業の中で、生きる意味を見出せる可能性があると僕は思っています。

そして、極論を言えば、人一人の人生に意味なんてない気がします。スティーブジョブスがアップル作って社会はより便利になりましたが、個人個人が幸せになったかどうかは別の話です。彼は好きな事をやって、結果、人の為になるになっただけです。

人生に意味なんて特にないとすれば、仕事だって辞めて、休めばいいだけだし、仕事したいと思えば仕事すれば良い。

 

そう思うと、日々の生活において、チャレンジもできるし、思い詰める事もない。そんな気がします。それが、どんな帰結を迎えるかは置いといて。

 

また、だいじろーさんの元気な顔をどこかで見れることを心から祈っています。

 

ではでは。