どーも、ユキさんです。ミンガラーバー。
ヤンゴンに来ようと思った最初の動機はヤンゴンで日本食レストランを開く事だった。
アジア最後のフロンティアであるミャンマーで一旗揚げてやろうと思った28歳サラリーマン経験しかない馬鹿な男。
とりあえず、現地に行って情報を掴もうと金ないくせにANAの飛行機に乗り、一路ヤンゴンへ。友人の伝手を使い、市内で繁盛している日本食レストランのオーナーさんの話を聴く機会を貰った。話を聞いた結果、「金無し・アイデア無し・人脈無し・根性無しの僕が成功する訳ない」その結論に至った。
話の内容というより、その人のオーラと自分のオーラを比較した時、明らかに僕が成功しないのは確かだった。
ヤンゴンに来て一年が経ちその結論は正しかったと思っている。
ヤンゴンには既に多くの日本食レストランが数多くあるし(しかも美味しい)、そこで成功するとなると死ぬほど頑張る必要がある。
資金調達・店舗開発・商品作り・雇用・教育・広告・決算業務etc...
他にもやらなければいけない仕事が腐るほどある。しかもその殆どが面倒で誰もやりたがらない仕事だ。単調な作業だったりもする。
そのような仕事に追われ、日々消耗していったであろう。悲惨な姿が目に見える。
てか、飲食業に縁も所縁もない僕がなぜレストランを開きたいのか思ったのかは今だに謎。
では、起業を諦めたかと言えばそうではない。
どのような起業をしたいのか・なぜ起業をしたいのかが、この1年で大きく変わった。
どのような変化がこの一年で僕に起きたのか。
僕はレストランオーナーさんに会った後、ミャンマーで物流会社を営む社長さんと会った。その方がちょうど物流経験者を探していた事もあり、その場で内定が出た。
一応日本では有名な物流企業で働いていたので、その時ばかりは前職に感謝した。日本に戻った後、正式にOffer Letterを貰った。個人的には日本で働くという選択肢は考えていなかったので、二つ返事でヤンゴンへ飛んだ。
この会社の概要について詳しく話すと会社に迷惑をかけてしまう可能性があるので、あまり言及しないでおく。いずれにせよ、設立してまだ4年の会社であり、ミャンマーで起業して間もないという状況だった。
僕の過去を振り返ると、ビジネスの領域において、日系大手企業での勤務経験が全てだった。歯車の一つ。本当に小さな小さなパーツの一つ。会社全体を見た事なんて一度もなかった。
今も全体を見ているなんておこがましいが、Managerとして部下20名を纏める立場にいる。自分自身で判断をしなければいけない事も多い。
というか本当に何でもやる。僕は倉庫のセンター長的な役目をしている訳だが、そこでは営業・運営・経理・総務・人事すべてに関わっている。
お客とのやりとり・現場への指示・請求処理とそのフォローアップ・業者管理・従業員管理・採用、これら全ての意思決定は僕の責任の下に判断がされている。
もちろん、社長や副社長の意向が一番なのでそれに従うが、基本的にはとやかく言われないので、自分で決めている。この経験・状況は僕にとって大きな学びとなっている。
これは僕が現場出身だったからかもしれないが、「間接部門(経理・総務・人事)の重要性」を痛切に感じている。
正直、以前は間接部門をタダの経費の根源となるお荷物だと思っていた。
が、これは大きな間違いだ。
経営者からすれば、現場とは異なる機能があることで、クッション的役割且つ三権分立的な役割を果たしてくれる有り難い存在なのだ。また、会社根本に関わる問題はここが握っている。お金の問題・人の問題。もちろん最終的には自分の目で見ることが大事な訳だが。
次に、「人を纏めるむずかしさ」。組織がしっかりしている会社は上司の人間性がショボくてもある程度従ってくれる。しかしながら、ここでは人間性が全て。制度が整っていないので、自分の発言がどれだけ信頼を得られるのかどうかにかかってくる。
決して僕が良い人間だとは思わないが、昔に比べて忍耐強くなったし、何より出来ないことに対して怒るのではなく、上の立場として解決策を見出そうとする姿勢に変わったことは非常に大きいと思う。信頼を得る為に。
昔からの性格である「短気」を自分のパーソナリティの一つとしてちょっと誇らしく思っていた自分がなんとも恥ずかしい。
一方で、社長や副社長は会社の新拠点設立や大型案件受注などの所謂大型投資(会社の経営に直結する投資)が伴う領域をカバーしている。
僕はその下でちょこまか動いているイメージだ。
彼ら二人は何もなかったミャンマーで倉庫を建てる所から事業拡大に努めてきた。
今は事業も順調になってきており、従業員も40名近くまで増えた。
年商も1億円を超す。
僕もそうだが皆さんが思い描く起業家はこんな感じの人だろう。
ただ残念ながら、このような人はほんの一握りだし、運命づけられている場合が多い。
僕の社長・副社長は日本で代々続く名門の一族であり、簡単に言えば貴族のような人種。お金も一般家庭に比べればバカ程あるので資金繰りにおいて致命的に困ることはない。
また、先ほど書いた日本食レストランのオーナーさんも似ており、両親はそれぞれ会社を所有している。そして、漏れなく皆さん超優秀な人たちだ。海外の一流大学を出ている。
では、運命だけが起業家かそうではないかを分けるのだろうか?
そうではないと思っている。
選ばれし者でも、それなりの規模の事業をするとなるとヤバい程苦労する。僕の会社にもたくさん問題はある。お金をなかなか払ってくれないお客さんがいる。ミャンマー人のマネジメントにも苦労する。仕事もなかなか取れない。
日々ゲロ吐きそうなほどの多くの問題に立ち向かいながら前に進んでいる。且つ、リスクを取りつつ。僕は二人のその背中を見ているだけなのだが。
彼ら二人が物流の事を好きなのかどうかは分からない。ただ、少なくとも「新しい事に挑戦する」事に対して好きなのが背中からひしひしと感じる。
大きな事業をするにはたくさんのお金がいるし、たくさんの人がいる。そうなればそうなるほど難易度は上がっていく。
そして、どんな起業にも苦労はつきものであり、というか苦労が殆どだろう。ゲロ吐きそうな苦労を乗り越えていくには、自分がやっている事がやりたい事・好きな事である事が条件であるように感じる。
話は自分の起業に戻る。
「金無し・アイデア無し・人脈無し・根性無しの僕」がどうやって起業するのか?
というか、そもそもなぜ起業したいのか?
ずーと、それらの問いが頭を駆け巡ってきたし、今も駆け巡っている。残念ながら答えは出ていない。ずーと答えは出ないのかもしれない。
このまま答えが出ないまま諦めるのか、それとも探し続けるのか。せっかくの人生なので、僕はもう少し探していこうと思う。
かといって、今胸を張ってやりたい事と言える事もないので、ちょっとやりたいと思ったことはやる事にした。
最近まで日本語教師を副業としてやっていた。これは向いてなかったな。
今はYoutubeでミャンマーについての動画を投稿している。
なんで、Youtubeでミャンマーについての動画?
これにいては幾つか理由がある。
①収益化できる見込みがある
②投資コストが少額
③情報をシェアする事で誰かの役に立ちたい
④動画作りが面白い
とか、それっぽい理由を適当に見繕っている気がするけど、詳しくは次回の記事で詳しく書いていきたい。
最後まで読んで頂き本当に有難う御座いました。
ではでは。