先日の記事で出てきたアメリカ人の友人。
ベトナムでアメリカ人と会う。
この言葉を聞いて、僕も少しづつではあるが進歩していると感じる。
彼女はハノイで公共福祉に関する調査機関で働ている。NGOみたいな感じらしい。
僕の英語力では何言ってるか詳しく分からないのですが、そんな感じ。
ネイティブと話していると僕の英語なんてまだまだだなーと本当に感じる。
それでも熱心に僕の話を聞いてくれることに感謝。
やはり根底にはお互い似た環境にある事が大きい。
彼女も先進国である母国を離れて、発展途上の国で働いてる。
なぜそういう国で働きたいと思ったのか?
どういう苦労をしているのか?
そういった所はやはりお互い共感できる。
もし僕が駐在員としてミャンマーに来ていたら、ここまで仲良くなれていなかっただろう。
昨日は彼女のいきつけのバーに連れて行ってもらった。
アメリカ人らしく店員さんととても親しげに話しているのを見ると、「あー、やっぱり、自分とは違うアメリカ人だなー」とも思う。
文化的差異はあれど根底は同じである。しかし、一方で、時として文化的差異が大きなバリアとなる。
僕は文化的差異に対してポジティブに受け止められる人を目指しているし、彼女もそうだと思う。
しかし、僕の友人や彼女の友人の全てがそういう人達ではない。
やはり、いくら根暗といえど、自分の芯は残しつつ、ある程度文化的差異にアジャストできる柔軟性が必要であると何となく感じた。
難しいわ、そのバランス。
明日までハノイなので、この件についてもう1記事書こうと思います。
ではでは。